アルボ・ペルトの90歳を祝う公演がカーネギーで行われ、エストニアのオーケストラと合唱やヤルヴィがやってきた。1977年に初演されたベンジャミン・ブリテンの思い出にから始まった。Aの鐘の音から始まる。両サイドに展開したバイオリンが鈴を響かせ始め、センターにチェロとビオラのマイナーコードがゆっくりと下降し始める。そして、ベースが寄り添う。ペルトの3つのDNA、ティンティナブリ。しばらくバーが進んでから、ファーストとセカンド、それぞれの首席の響きのかけら。彼らの尊い命。やがて、私は魂の渦の中心に吸い込まれ、突然、鐘と全ての音と一緒に消え闇が訪れた。そこはイスラエルのチャイコフスキーで体験した静寂の中の永遠と同じだった。
当時のペルトは、ソ連体制のエストニアで創作の自由を奪われ沈黙を経て新たな作曲法を見出した。そして、ブリテンの音楽に彼が探していた純粋さを感じた。出だしはワーグナーのラインゴールドやローエングリンを思い出させた。ステージの楽員たちの気配を感じなかった。カーネギーの空間はペルトで満たされていた。全てはペルトとカーネギーホールに奉げられていた。
続く パーペチュウム・モビール は1963年に発表された。1967年にペルト作品としてアメリカではじめて初演された。リゲティ、ショスタコーヴィチやバルトークの破壊が管弦楽でボレロの様に繰り返され恐怖を感じた。そしてまた闇。
ラ・シンドーネ(聖骸布) 2006年に発表。管弦楽と鈴。人間の喪失と贖罪、再生への道。神との和解。ゆっくり漂う弦の音の膜を眺めていたが、鐘が鳴るたびに、包まれていった。そして、ベートーベンの3番の葬送行進曲が聴こえた。鐘と鉄琴が同時に響きまた闇が訪れた。闇はどんどん深く暗くなっていく。拍手のタイミングがだんだん遅くなってきて聴衆が引き込まれてきている様子がよく伝わってきた。
4曲目、2009年の アダムの嘆き。管弦楽と合唱。ロシア正教を深く研究してきたペルト。楽園を追い出されたアダム(人間)の喪失と贖罪、そして再生への道を探す旅。管弦楽と合唱の不気味なほど透明な響きとむき出しの嘆き。一番すごかったのは同じ高さの声に弦楽器が寄り添ったり消えたりする境目が解らなかった。ティンティナブリの共鳴は響きの透度をあげ人と楽器をその純度で同化させる。そのドラマの数々を人の声と楽器が支え合う様子はベートーベンのミサソレムニスを思い出させた。
ペルトはエストニアに1935年に生まれ、ソ連に自由を奪われ、1980年にオーストリアに亡命し、そしてドイツを経て、2010年に30年ぶりにエストニアに戻った。亡命するまでペルトはソ連外の影響に触れる機会がほぼなかった。その時期、中世・ルネサンスの古楽を研究し西洋音楽の原点を探った。その単純さは、長い時の中で風化した要素をそぎ落とし、音と人の結びつきを、西洋の進化または退化の影響を受けず、純粋に研究し発展させたところから来ている。そしてペルトはとてもポピュラーだ。プログラムノートに、ペルトに熱心な人は思考を多様化させる必要があり、見限った人は何か大事なものを見逃している。そして、大抵の人はどちらでもないとあった。ペルトの楽譜は誰でも演奏できる。中世の朗唱や19世紀にうんざりしたオーディオファンはペルトを崇拝し、無調を好む者はペルトを安易な単純性として関心がない。そして、ペルトの音楽は今、ヨガ教室をはじめさまざまな場面で耳にする。しかし、なぜ今、カーネギーの支配人は彼を特集し、ペルトを最もよく知るエストニアとヤルヴィを招待して私たちにそれを示してくれたのか。私は彼が90歳を迎えたことを世界で祝福する理由を知る。
後半、1977年の タブラ・ラサ は白紙を意味し、人間の心が生まれたときは空白だという概念を指す。2つの楽章、ルードゥスとシレンティウムからなり、2つのバイオリンが交互に呼びあい支え合う。バッハのリトルネロを感じた。沈黙を破ったペルトの2重協奏のルードゥスが始まると目が閉じた。五嶋みどりとハンス・クリスチャン・アーヴィクの引く弓から命が燃えている。メノモッソが訪れ、それは消え、また繰り返される輪廻の輪。みどりは痛みや苦しみを通り過ぎた美しさ。ハンスは輝きの詰まった響き。アルペジオの波は激しさを増し、音色が急に輝きを増し、厳しい痛みの様な、深く心をえぐるような高い輝きに目が開いた。視線の先にハンスがいた。最後の激しい2人のアルペジオの波に最後オーケストラはクレッシェンドしない。
プログラムから聖書の節を引用。
One recalls the scriptural passage where “the Lord was not in the wind … the Lord was not in the earthquake … the Lord was not in the fire.” The Lord was in “the still small voice” (I Kings 19:11–12)
「主は風の中におられなかった…地震の中にもおられなかった…火の中にもおられなかった」という言葉が思い浮かびます。主は「静かな細い声の中におられた」
続く シレンティウム は、弦合奏のループに2つのフィドルはゆっくりこだまする。2つの音色はもう違いがわからない。プリペアードピアノとチェンバロが時を告げ、幻想空間でただよう魂のゆらぎ。1曲目の命の光が重なる。幼いころ母に抱かれて眠った雪の夜のぬくもりが、彼女の魂に抱かれているようだった。やがて音色はビオラとチェロに受け継がれ、下降しコントラバスが途中で終わるとやはりその感覚は永遠にこだまする。そして、私の演奏会史上で最も長い沈黙が訪れる。2800人の聴衆とステージの音楽家たちで埋まるカーネギーには神聖な時間が宿った。ゆっくりと拍手が始まったが私の心に響く余韻を消すことはなかった。
続く フラトレス も1977年に発表された。ラマのように静謐で神秘的な響き。永遠の時の巡りの中、旋律と拍子木の音が交錯し、時間はゆっくりと溶けていく。私は、永遠の時を旅する者たちの一人となった。ヤルヴィの肉体は空間に溶け込み、時を流れる波動を送り続ける。低弦の微かな響きが続き、シンプルなコードと木の音が、まるで砂漠で火を囲み、ハルモニウムを聴いている錯覚をもたらす。きっとペルトは、限られた環境の中でそうして自分の響きを見つけていったのかもしれない。小さなハルモニウムが、永遠の時を静かに刻む心深く終わりない旅の途中で心が落ち着いた。聴衆の拍手は内田光子がシューベルトを弾き終えた後のさざ波のようだ。はじめと全然違う。
続く 白鳥の歌 は神秘の旅の余韻のようだ。長く続く旅を振り返った時に、本当にそれでよかったと思える、明るいピッチカートのループ、心に光をともす鐘のやさしい響きが、やがて力強く一つになっていく。私には愛する仲間と旅をする目的があると希望が溢れてくる。そう思えてくると、やがて静かにその思いは閉じた。最後の音色が終わると、やさしいさざ波が起こる。はじめの強い静寂とは全然違う。ニューヨークの聴衆は強くて興味深くて、そして良くも悪くも素直だ。私にペルトはベートーベンやブラームスほどなじみがない。今回は一曲一曲、ただ聴く。静寂をかみしめるので、演奏が終わっても、その曲の光がそれぞれ強く残っていった。
最後だ。クレド。1968年。ペルトの第9。クレド、私は信じるとそっと始まる。次の瞬間、爆発。そして、イエスキリストと静かに波が引いていくと、たった一台の小さなピアノでバッハの平均律の1番を奏で始める。毎日が発見だったバッハを弾いていた頃、中学生だった。音楽が好きでたまらなかった時だ。何も怖くなかった時だ。やがて、メシアンの様な美しい幾何学のコードは混乱し始め、ピアノが自分を主張し始める。合唱が、目には目を、歯には歯をと叫び始めると、管楽器が混乱した動物園のような大騒ぎになり、人間が悲鳴をあげ大混乱になる。その時、Non esse resistendum injuriae 傷つけられることに抵抗する必要はないという言葉に、楽器の抵抗が続く中、その透明な響きの中から、再び小さなバッハから神の声が導かれる。カーネギーで2025年の今、このテンポで、生涯聴いた人が奏でる音で多分一番尊い音を体験した。この美しさは鍛錬の結晶だ。それは、心に言葉のいらない静けさを残す。そして、ペルトは本当に親切なことに、一歩が踏み出せるように、2度、クレドを叫ぶ。背中を押されている。この神が与えてくれた安らぎに、心が赦しに向かっていった。沈黙から溢れるペルトのエネルギーは原子力のようだった。音が消えると体がマグマで満たされるようだった。
しかし、ヤルヴィが「アンコールをせずに帰るわけにはいかない。We could not possibly leave without playing an encore. Passacaglia by Arvo Pärt」と言うと、客席から笑顔と拍手が湧いた。パッサカリアはブラームスの二重協奏曲のようだった。生きた人間の力強い創造の精神と息遣いを感じた。まるでみどりがハンスをリードしているようにも見えた。助かった。
今回のこの大規模なセットを通して、エストニアとヤルヴィはペルトをカーネギーに奉げに来たわけだが、やはり、それぞれの作品から、管弦楽と合唱の胸が躍るようなうまさを見つけてしまった。将来のプログラムが楽しみだ。アンコールはエストニアの子守歌。素朴でやさしい民謡に最後まで心が奪われた。
少ない音で語り、静寂と光の長い道を共に歩む。平和と悲しみ、そして希望の鈴が響く心の交流。ペルト音楽が境を越え人間の精神に触れた時、聴衆は自分に出会い、それはさざ波となってカーネギーを満たすのだ。
帰りに、ラナに出会った。ラナは92歳で、旧ソ連出身。ペルトはショスタコービチやプロコフィエフと違う。ペルトはプロフェッショナルじゃないと何度も行ってきた。私もそう思う。