Muti, an 83-year-old Italian maestro who first performed with the Vienna Philharmonic in 1971 when he was 30. Since then, they have session every year. At that time, some still had experience performing under the baton of Walter, Mengelberg, and Toscanini. Their pursuit of music for over 50 years is extraordinary, and I was moved by how they performed with all their might even in the difficult situations. They don't care if they can play that part of the song well. Each plays the moment with such heart, and power. Even if someone is fast or slow, you don't follow them if that's what you think. Muti always showed his direction with a smile. When the violins began to play the melody in Schubert's Symphony No. 4, Muti made them lyrical sing. Each member played a solo-like ensemble in the second and third movements, with sometimes with different tones. Still, when that part was repeated, it became a harmonious and swell, and released a powerful and vital charm that cannot be described in words. They have no rule to follow someone, and because everyone repeats their opinions, they have empathy, and everything there blends. The charming exchange between the clarinet and violin, and the viola and second violin played chromatic notes in 4th mov. Even though they knew they liked each other, it was bittersweet.19-year-old Schubert's spirit, overflowing from the 50-year relationship between Vienna and Muti, was recalled, which was the DNA of the orchestra. With Bruckner in the second half, a rural landscape lasted over 60 minutes—a magnificent tremolo at the end of the movement. The golden wings of the strings sometimes fluttered slowly, and sometimes they misread the wind and didn't flutter properly, but Muti sometimes showed them the way with big gestures. After the work, Muti stood in the Vienna Philharmonic circle amid the audience's applause and looked happy.
リッカルド・ムーティとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がカーネギーホールで演奏会を行った。ウィーン・フィルは毎年別な指揮者とニューヨークのカーネギーに2月から3月の週末、3回別のプログラムで演奏会を行う。今年はムーティと公演を行った。83歳のイタリアの巨匠がウィーンと初めて演奏会を行ったのが1971年で30歳だったそうだ。そこから毎年、ウィーン・フィルと演奏会を行っているそうだ。当時はまだワルターやメンゲルベルク、トスカニーニの指揮で演奏経験がある団員が残っていて、ムーティは楽員をそれぞれプロフェッサーと呼んでいたそうだが今では下の名前で呼ぶそうだ。彼らの50年以上に及ぶ音楽の追求は並ではなく、どんな大変な状況でも全力の演奏を披露する姿に胸を打たれた。曲のその部分がうまく演奏できても出来なくても気にしない。彼らは一人ひとりが誠実で心が籠っていて力強くその時の音楽を奏でる。誰かが早かったり遅かったりしても自分がそう思うならついていかない。そんなウィーンをムーティはいつも満面の笑顔で方向を示していた。シューベルトの交響曲4番の1楽章でバイオリンがメロディを奏で始めると、ムーティは歌心に溢れた指揮でバイオリンをうたわせる。続く2、3楽章でも一人ひとりがソロのような合奏で全員違う音色が響くときもあれば、特にその部分が繰り返されると、調和のとれたハーモニーやうねりとなって言葉に出来ない力強く生命力に溢れた魅力を放つ。彼らに誰かに従うという規律は無く、全員が主張を繰り返した結果、共感が生まれそこにいる全てが溶け合った音楽の生命が生まれる。4楽章ではクラリネットとバイオリンのチャーミングな掛け合いがあり、ビオラと第二バイオリンの半音階の刻みが独特の雰囲気を生む。お互い好きだってわかっていてもなかなか言えない。そういった甘酸っぱい何かだ。ウィーンとムーティの50年に渡る関係から溢れる19歳のシューベルトの精神世界はそのオーケストラに備わったDNAを指揮者が呼び戻すものだった。先日のコペンハーゲンのバロックオーケストラでは歴史って何?と問いたくなる時間の概念を超えた体験だったが、ウィーンの場合は演奏って何?と問いたくなるメロディ、共鳴するハーモニーはシューベルトの精神を映像で見ているような気分になる。後半のブルックナーでも同じだ。60分を超える田舎のランドスケープ。楽章の最後にやってくる壮大なトレモロ。弦楽器の黄金の羽がゆっくり羽ばたくこともあれば風を読み違えたのか、うまく羽ばたかない部分もあるが、ムーティは時に大きなジェスチャーで彼らに道を示していく。曲を終え聴衆の喝采の中、ムーティはウィーン・フィルの輪の中に立ち本当にうれしそうだった。ウィーンはどんな指揮者が振っても、ニューヨークの1日目に洗練や厳密な演奏などありえない。彼らの登場、それぞれの個性がさく裂し混沌からいつのまにか溶け合い音楽が呼吸をはじめる。演奏会とはそういう物で誰か勝手に感じた何かを上手に仕込んで披露する代物ではない。物質の豊かさの代償に金儲けにアドレナリンが溢れる30台カップルには当然伝わらず、端っこで迫力や音色を楽しめばいいのに、真ん中に座っても何も聴こえず、どうしていいかわからない。手に持ったプログラムは同じページで、そのうち携帯電話を手に取ったりヒソヒソ話を始める。ブルックナーの1楽章が終わって気が緩んだのか、プログラムを見るとまだしばらく続くとわかり、今度は顔をしかめ、水のボトルの蓋を捻ると、プシュッと音が出てしまい慌てていた。彼らはクラシック音楽の演奏会で音を立てることが恥ずかしい行為だと思っているし、わからないことを素直に認めず見栄を張る。退屈なら我慢しないで途中で帰ればいいのに、見栄を張るので最後まで居座り続け、しまいには周りを天国から地獄のひと時に引きずりこむ。演奏会は人の心を裸にする。
2.28.2025
Riccardo Muti, Conductor
Program
SCHUBERT Symphony No. 4, "Tragic"
BRUCKNER Symphony No. 7